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ウエルカム赤ちゃん 沖縄の島守

04年、3月、初めて沖縄を訪れました。

帰りの飛行機で、読もうと、売店で購入した本

沖縄の歴史と旅 陳舜臣 ちん・しゅんしん 著  PHPエル新書

最後の章で、釘付けになってしまいました。

 沖縄戦で忘れられない人がいる。

 忘れてはいけない人かもしれない。

 私は神戸で生まれ、神戸で育った。

その人もやはり神戸で生まれ、旧制神戸二中を出ている。

私は戦後の神戸の街で、その人を知っているという多くの人に出会った。

忘れてはいないのは私だけでなかった。

そして、その人の母校、今の県立兵庫高校では、いまも毎年の学年末、全校の前で一年間でもっとも目覚ましい活躍をした生徒を、このOBの名で表彰している。

それだけではない。

那覇市の奥武山( おうのやま)球場で毎年行われてきた高校野球新人戦の優勝校には、

その人の名を刻んだ優勝カップが手渡されている。

 その人の名は島田叡(あきら)(1901 ~1945)という。

 島田叡さんは忘れ難い人である。

その生き方に頭が下がるのだ。P209より引用

 

この一節が忘れられずに、島田叡さんについて、調べました。

そして、この一冊にめぐり合いました

沖縄の島守  内務官僚かくたたかえり

 田村洋三著 中央公論新社

帯タイトル

沖縄戦後、58年目にして発掘された新事実

戦火の中で煌めいた高貴な精神 

島田叡。沖縄県知事。米軍沖縄攻撃二ヶ月前に赴任

荒井退蔵。沖縄警察部長。島田とともに二○万県民の命を救う

一九四五年夏、魔文仁の丘で消息を絶つ

私はこの方のことはそれまで知りませんでした。ただ、沖縄戦の直前に人事でいろいろと

あり、沖縄に残った人、本土に帰った人との葛藤があったことは知っていましたが、、、

島田氏と荒井氏の行動には、なみだがとまりませんでした。

島田氏は、知事要請にあたり、奥様にご相談もせずに、ご自分ですぐに決められたこと

戦後、ご遺族がご苦労されたこと

田村氏の取材にあたり、奥様がお断りになられたとのこと

奥様は、おつらかったとおもいます。

1945年6月26日より、お二人の公式の消息が不明となります。

映像化されると、いいのですが、、、、、

20年後の、海東健くん主演でどうでしょうか?

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